安倍退陣で誕生した「菅内閣」支持率爆上げの違和感
「殉教するヒーローとその継承者というイメージ」の罠
■“職に殉じようとしてボロボロになった人”というイメージ
不思議な展開であったが、後から振り返ってみると、大平首相が八方塞がりの状態の中、職務遂行の途中で亡くなったため、“崇高な政治理念に殉じた人”というイメージが出来上がり、それを継承し、実現することこそ、“残された者たち”の使命という連想が働いたのだろう。“弔い合戦の喪主”敵な役割を担う者が強い支持を得られるというのは、カエサルの死後のオクタヴィアヌスの台頭の例に見られるように、洋の東西を問わず広く見られる現象である。
アメリカの大統領で言えば、大戦末期に任期途中で亡くなったローズヴェルトの後を継いだトルーマンや、暗殺されたケネディの後を継いだジョンソンが再選を果たし、強いリーダーシップを発揮している。ただ、“継承すべき政策課題”の是非が問われないまま、「“高貴な使命に殉じた人がいる”⇀誰かが“継承せねば”」という印象だけが独り歩きするのは、日本的な判官びいきのメンタリティのせいかもしれない。
今回、安倍前首相は亡くなったわけではないが、コロナ禍での激務が続いたため病状が深刻であると伝えられていたことと、第一次安倍内閣(二〇〇六-〇七)の辞職劇に際しては、胃腸の機能障害というのが単なる言い訳であるかのように言われたため、同じ病気の人たちを傷付けたことへの反省、本人がやるべきことを成し遂げられなかったことへの無念の気持ちを――泣き崩れるのではなく――涙を浮かべながら語ったことなどが、“職に殉じようとしてボロボロになった人”というイメージを作り上げたのではないか。
コロナ問題の影響で、様々な種類の病気に対する関心が通常より高まっていたことや、立憲民主党の議員が病気に関する無理解を露呈するようなツイートをして炎上したことで、そのイメージが補強されたと考えられる。
■“首相を影から支え、様々な攻撃から守ってきた人”というイメージ
予想外でのタイミングでの辞任表明をきっかけに、それまでの“お友達に囲まれたお坊ちゃん政治家”という安倍首相のイメージが、“絶えず持病に苦しめられながら、自分で設定した政策目標の実現のために奮闘する準・殉教者”のそれに転換した以上、これまであまり自分で目立とうとせず、首相を影から支え、様々な攻撃から守ってきた人というイメージが定着していた官房長官が浮上してくるのは、当然だろう。
そうしたイメージの連鎖があれば、どの派閥が推しているかということはあまり関係なくなる。四十年前、大平首相の急死から鈴木首相誕生までの間、マスコミは主流派の思惑をめぐる細かい話はさほど力を入れて報道していなかった。
無論、リーダーが急死したり、病のため道半ばで辞職せざるをえなくなったからといって、その“後継者”に求心力が生じるとは限らない。二〇〇〇年に小渕首相が脳梗塞で亡くなって、幹事長だった森喜朗氏が後継に決まった時は、密室の談合で後継が決まったと批判され、内閣支持率は低迷した。
一九八〇年との違いは、自民党内で激しい派閥争いがなく、比較的安定した政権運営が行われていたため、殉教したというイメージがそれほど強くなかったことと、森氏が小渕氏を影から懸命に支えていたというイメージがなく、小渕氏ができなかったことを自分が実現するとアピールしなかったこと、少なくとも、そういう印象を与えられなかったことが原因だろう。要するに、神聖な継承の儀式のように思わせる要素が少なかったのである。
安倍首相から菅官房長官への“崇高な使命の継承”こそが、“保守政治の本来の姿”であるということになると、これまで、反安倍の急先鋒として期待され、マスコミを介しての反政権発言を続けてきた石破氏は、四十年前の福田前首相のように、自分のメンツに拘って、あるいは権力欲のためにごねている人ということになる。
[ポンコツのリーダーをあくまで庇い立てする腹黒い側近vs.干されることを恐れず言うべきことを言う信念の人]という図柄が、[理念に殉じようとするリーダーに煙たがられながらも忠誠を尽くそうとした人vs,大向こう受けするパフォーマンスとして満身創痍のリーダーの足を引っ張る人]という図柄に反転してしまったわけである。
いったん反転すると、マスコミや反安倍の人たちが、石破氏を推せば推すほど、そのイメージが強まって、逆効果になる。